その7:私はこうしてヘルニアと向き合いました
そんな私は20代半ばで椎間板ヘルニアを発症しました。
人生初の寝たきり生活に頭は大パニックでした。
- 立てない
- 歩けない
- 座れない
- トイレに行くだけでも10分以上
トイレなんて貞子さんの様にはいつくばる始末。
仕事が~の前に「生きるって何?」というレベルの落差を経験してしまいました。
その瞬間を境に日常生活が崩壊したのです。
原因はわかっていました
そんな私が椎間板ヘルニアを患った原因。
それは「働き過ぎ」と「ストレス」でした。
大学院を経て新卒となった私は新進気鋭のベンチャー企業に職を得て、毎日18時間くらい働いていたのです。
非常に楽しいサラリーマン生活でしたが、スピードと発想重視のベンチャー特有といえる「矛盾と理不尽」にもみくちゃにされる生活でしたので、ストレスは相当だったと思います。
勢いのある会社って全体がナチュラルハイな状態にあるので「感覚麻痺」になってしまうのだと思います。
猛烈なストレスに包まれつつも、ドーパミンの方が勝っていた様な状態です。
でも、それはあくまで「脳内」の話であって実際の身体はそうはいきません。
感覚が鈍っていてもストレスや睡眠不足のダメージは確実に蓄積していたのでしょう。
その日は突然やってきました。
休息か退職か
前日は18時間働き、次の日には寝たきり。
そんなジェットコースターの様な展開を迎えた私はとにかく決断が必要でした。
「出社できない自分、いつ戻れるかの目安も不明。
どういう立ち位置になるんだろうか」と考えたのです。
働けないなら退職だろうな、今住んでいるのは会社の寮だぞ。
おいおい今の身体で出ていけって言われても無理だ。
困った私はとりあえず会社に相談をしたのです。
「こんな状態ですけど、どうしましょう」と。
私の場合はベンチャー企業だったので社風がとても自由でした。
そして仕事はパソコンがあれば何処でもできるものだったので自宅で療養をしながら仕事をするという選択肢が存在しました。
それなら僕にもできる。
そんなこんなで私は完全復帰を最優先にしつつ寮で仕事をするという選択をしたのです。
当時の寮はタコ部屋だったので会社としても管理がしやすかったのだと思います。
サボっていたらすぐバレますから。
完治に向けての話はまたの機会に
今回はヘルニアを発症してからの会社との向き合い方についての紹介をしました。
ここから今度は「ヘルニアからの復活」に向けての行動が始まるのですが、それはまたの機会にしたいと思います。
書き出したらもうとんでもない文章量になってしまいそうなので。